「未病という概念と過剰診断の関係」 by 代表の雑談
2026/10/22
先日アップしたブログが好評でしたので、その続編を作成しました!
前回のブログをまだ読んでない方はそちらも是非お読みください。

今回は「未病」と「過剰診断」をテーマに!
**「未病」と「過剰診断」**は、実は真逆の概念でありながら、現代社会ではしばしば混同されています。
しかし本質を理解すると見えてくるのは――
👉 現代医療と東洋医学の“健康観そのものの違い”
です。
それではごゆっくりどうぞ!
● 未病とは何か(本来の意味)
未病とは
👉 まだ病気ではないが、健康でもない状態
東洋医学の基本概念です。
この思想の原点は
黄帝内経
ここでは名言があります。
「上医は未病を治す」
意味:
優れた医師は
病気になってから治療しない
病気になる前に整える
未病の本質
未病は「早期発見」ではありません。
✔ 体のバランスの乱れ
✔ 生活の歪み
✔ 気血の滞り
✔ 回復力の低下
つまり
👉 病気の原因が芽生えている段階
を整えるという思想です。
● 過剰診断とは何か(再確認)
過剰診断は
👉 問題にならない異常を病気として発見すること
つまり
✔ 見つける行為
✔ 診断の行為
✔ 医療介入の開始
これは完全に医療行為中心の概念です。
● 未病と過剰診断は何が違うのか
ここが核心です。
| 視点 | 未病 | 過剰診断 |
|---|---|---|
| 健康観 | バランスの問題 | 異常の有無 |
| 目的 | 病気を生まない | 病気を見つける |
| 方法 | 生活・体質調整 | 検査・診断 |
| タイミング | 診断以前 | 診断後 |
| 人の位置 | 生活者 | 患者候補 |
つまり
未病は
👉 「病気を作らない思想」
過剰診断は
👉 「病気を定義する行為」
です。
● なぜ現代社会では未病が過剰診断に変わるのか
ここが構造的問題です。
① 現代医療は診断が出発点
現代医療の原則:
診断がなければ医療は始まらない
しかし未病は
👉 診断が存在しない状態
つまり制度上扱えない。
② 数値化できないものは認識されない
未病は
-
なんとなく疲れる
-
冷える
-
だるい
-
食欲変動
-
睡眠の質
主観的です。
現代医療は
✔ 数値
✔ 画像
✔ 検査値
が基準。
測定できないものは
👉 無視される
③ 医療経済は診断を必要とする
保険制度・医療費支払い・統計
すべてに必要なのは
👉 病名
未病は経済的カテゴリーにならない。
④ 社会は安心を「診断」で得る
人は不安になると
原因を知りたくなる。
すると
未病的な違和感
→ 検査
→ 異常発見
→ 診断
これが過剰診断の流れ。
● つまり何が起きているのか(最重要)
本来なら
未病の段階で整える
↓
病気にならない
はずが
違和感を検査で確認
↓
異常が見つかる
↓
患者になる
つまり
👉 未病が医療化される
これが現代社会の現象です。
● 哲学的に見るとこうなる
東洋医学:
健康とは「調和」
現代医学:
健康とは「異常がないこと」
この定義の違いが
未病を
過剰診断へ変換します。
● 最も深い問題(文明レベル)
未病の世界観では
人は自然に変動する存在。
現代医学では
人は正常値に固定されるべき存在。
つまり
変化は異常
揺らぎは病気
と解釈されやすい。
● 結論
過剰診断とは
未病を理解できない医療システムが
生み出した副産物
です。
本来なら生活で整える状態を
検査で病気に変換してしまう。
● 本当の問い
現代社会が選ぶべきなのはどちらか。
1️⃣ 病気を早く見つける社会
2️⃣ 病気を作らない社会
これは医療技術の問題ではなく
👉 健康観の選択
です。
最後までお読みいただきありがとうございます!
現代医療の進歩が逆に病気を生み出しているのかもしれませんね。
医療もビジネス化が激しいですからね。
【医は仁術】という言葉もありますが本来の医療の在り方をもう一度考えなければいけませんね。
皆様の知見のご参考になれば幸いです。

